ながいひとりごと

主に映画の感想を書きます。

クリスマス映画の要素が際立たせるもの『戦場のメリークリスマス』

戦場のメリークリスマス』について、ここでは、この映画の日本語・英語タイトルどちらにも「クリスマス/Christmas」という語が含まれることに注目したい。これはハラの重要なセリフからであるが、それだけでなく、この映画にはクリスマス映画、クリスマス・スピリットの要素があることも示している。原作をふまえると、クリスマス=キリスト教的要素は存在して当然と思われるのだが、映画化にあたって大きな変更がされているにも関わらず、クリスマスを感じさせるというのが興味深いところだ。この映画はクリスマス・スピリットが成就する映画だ…とは言い難いけれども。

 

クリスマス・スピリットが何かとは説明しづらいが、家族との繋がり、赦し合い、人との繋がりを寿ぐことなどが挙げられる。クリスマスを題材にした作品・映画がそれを広めたという面もある。なので、そのはしりである『クリスマス・キャロル』をイメージすれば分かり易い。ここでは、「贈り物をすること」や「人との繋がり」という部分に着目したい。

戦場のメリークリスマス』では『クリスマス・キャロル』をはじめとした作品のような超自然的なことは起こらないし、団欒もない。しかし「贈り物=人に何か与えるような行いをすること」や「人との繋がり」という要素がある。 中心となるヨノイ、セリアズ、ハラ、ロレンスが社会的抑圧や集団としてのしがらみが存在する中、それらとは異なった個人として、相手のためにしたいと望んだことを行う。ヨノイは裁判で出会ったセリアズの命を助けたくなり処刑するのではなく捕虜とする。セリアズはそのヨノイが個人としての思いを抑えつけようとし必要以上に集団の一員としての役割を果たそうとするのを、ヨノイへのキスという個人的な愛の行動で以って止める。ハラはロレンスを助けたいという個人的思いからロレンスとセリアズを釈放する。ロレンスは映画を通し、日本人たちの思いを理解しようとし、そして自分たちの思いを伝えようとする。何より、セリアズがヨノイの頬にキスするという行動は、ヨノイ、ハラ、ロレンスの3人に「種を蒔く」と表現されるポジティブなものをもたらした。

それらの要素が幸せな結末として成就することはないという展開が、この映画を「クリスマス映画」とは呼びづらい理由なのだが、それは戦時中を描いていることを際立たせてもいる。幸せな結末を連想させる要素がありながら、そうはならないことで観客に「平和な場で彼らが出会っていたら違った結末になっただろう」と強く思わせるのだ。そして、その状況を超えようとする個人としての想いが際立つ。

 

この映画を近年のクリスマス映画と比較すると、より個性が分かりやすくなる。

ラスト・クリスマス』(2019)では、異なる背景を持つ人々のつながりや家族内でも育ってきた環境が違うことの受容が描かれる。このように文化的背景の違いを超えた融和を目指すという話も、現在ではクリスマス映画の一要素なのだ。

『ハピエスト・ホリデー 私たちのカミングアウト』(2020)は主人公のひとりハーパーが、家族に対しては同性愛者であることをカミングアウトしていないことから始まる。ハーパーが恋人アビーにキスしたのを目撃され、同性愛者であることが明らかになるのをきっかけに、選挙のための理想的な家族像を目指し抑圧的だったハーパーの家族が和解した。これは、(アウティングという問題ある方法を含むものの)個人的な愛が「選挙のための家族像」という立場・しがらみを超えるきっかけになったといえる。

これらを踏まえると、異なる文化的背景を持つ人々の邂逅と、彼らの立場を個人的な思いが超えようとする様をクリスマス映画の要素を取り入れつつ描いた『戦場のメリークリスマス』は先の時代を予見していたといえるのではないだろうか。分断が顕著である今だからこそ、個人的な感情がそれを超えようとすることによる「人との繋がり」がより鮮やかに見えてくる。

 

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